2010年 08月 07日
広島 原爆の日 |
毎年欠かさず行っている8:15の黙とう。
昨日はその時刻にはできませんでした。
その時私は部下のちょっとしたミスを処理している真っ最中でした。
気に止める事ができなかった。
仕事とはいえ、とても残念な気持ちになりました。
そのバックボーンには母方の祖父の教育があります。
当時、広島の復興に大きく力を注いでいたと祖母から聞かされた事があったが、自分自身から語る事は無かった。しかしながら必ずこの日には黙とうをささげるようきつく言われて育った。ちゃんとつとめを果たすと、にっこりとほほ笑み返してくれるのがなんともうれしかった。
全ての出来事には意味がある。
その人間に必要だから辛い事でも、目の前に起こりうるんだと。
だから物事に不平を唱えてはいけない。
自分の望む世の中にしていきたければ、自ら努力を惜しんではいけない。
人の役に立てるような人間になるため、一生懸命に勉強する。
いつでもグローバルな視点を持たなければならない。
何にでもチャレンジし、頑張らなければその一生を語る事が出来ない。
今でもその一言一言をはっきりと思い出す事ができる。
家族を一番に思いやるその生き様は、大きな山のような存在でした。
そして何より「和」を重んじた、立派なおじいちゃんでした。
夕方のニュースで拝見させて頂きました秋葉忠利市長のスピーチは心を打つ、感動的なものでした。
「21世紀を核兵器のない平和と人道の世紀にするため、全力を尽くす」と宣言し、被爆者や死者やその遺族に信念を伝えた。
おじいちゃんが生きていたら今年の「原爆の日」をどう受け止めただろう。
大人になった私にどんな話しを聞かせてくれただろう。
この写真を撮ったは昨年、はじめて原爆ドームを訪れた時のものです。
その時祖父は私の隣にいたような気がします。温かな日差しが包む公園。様々な思いを込めながらシャッターを切り続ける。良い時間でした。次はどんな話しができるのだろう。
by gagaonsen
| 2010-08-07 14:05
| 言葉