2011年 04月 05日
宮城県塩釜市北浜地区 今朝の様子 |
震災から3週間が経過し、我々は本格的に営業再開が見えてきました。
今朝、数日ぶりに塩釜の親友へ電話を掛けてみました。
日常の様子などを聞いたりしていましたらふいに「パーティーは5月中旬頃にするからね」と言われ、ちょっと考え込んでしまいました。
よく考えると、3月8日にとり行いました私どもの結婚披露宴の二次会の事でした。
当日は峩々に宿泊するゲストが大勢いたため、友人・知人だけの二次会は後日という事になっておりました。
お互いの友人はごく少数しか呼ばなかったので、改めてお披露目会をしてくれる事になってました。
彼はその幹事を申し出てくれていた事はこの震災ですっかりと忘れておりましたが、このさなかにしかも被災地の彼の方からありがたい言葉でした。
自宅の瓦礫や汚泥を片付けながら、きっと彼は思ってくれたのでしょう。
もしかすると彼は正気を取り戻すために、頭の中で会場に集まる仲間の顔や振舞われる料理を思い浮かべていたのではないかと思う。
急に胸が苦しくなる。
彼の朗らかなその性格と、身を置いている環境があまりにもかい離しすぎている。
人間の気力と体力を圧倒的なその猛威で奪い、何もなかったかのように潮が引いていった街。目の前が真っ白になり言葉を失う。残されたものは手の付けようも無いほどの瓦礫。
日が暮れれば暗黒の将来を占うかのように押し寄せる不安。
塩釜の親友 佐藤圭太はそのまっただ中に立ちすくんでいる。
塩釜の、宮城の、そして日本が誇る第一次産業。
東京築地でも圧倒的なブランド力を誇る三陸沖の魚介類。
でも、会社そのものがその生業としていた海に流され操業する足がかりを失っている。
皮肉にも彼を育てた塩釜の雄大な自然が、彼らの生活を奪った。
しかしながら圭太は沢山の仲間までも飲み込んでしまった海に、また帰ろうとしている。
この塩釜からまた船を出そうとしている。
今日も一歩一歩、新しい海に向かって顔を上げている彼に最高のエールを送りたい。
がんばろう!!宮城 がんばろう!!塩釜
がんばれ!!佐藤圭太
(携帯電話で本人が撮影した宮城県塩釜市北浜地区の今朝)
※峩々温泉が実施致しますチャリティはこの塩釜市北浜地区に送られます。
ぜひ1人でも多くの方々にご協力頂き、1日も早い復興をみんなで後押ししましょう。
今朝、数日ぶりに塩釜の親友へ電話を掛けてみました。
日常の様子などを聞いたりしていましたらふいに「パーティーは5月中旬頃にするからね」と言われ、ちょっと考え込んでしまいました。
よく考えると、3月8日にとり行いました私どもの結婚披露宴の二次会の事でした。
当日は峩々に宿泊するゲストが大勢いたため、友人・知人だけの二次会は後日という事になっておりました。
お互いの友人はごく少数しか呼ばなかったので、改めてお披露目会をしてくれる事になってました。
彼はその幹事を申し出てくれていた事はこの震災ですっかりと忘れておりましたが、このさなかにしかも被災地の彼の方からありがたい言葉でした。
自宅の瓦礫や汚泥を片付けながら、きっと彼は思ってくれたのでしょう。
もしかすると彼は正気を取り戻すために、頭の中で会場に集まる仲間の顔や振舞われる料理を思い浮かべていたのではないかと思う。
急に胸が苦しくなる。
彼の朗らかなその性格と、身を置いている環境があまりにもかい離しすぎている。
人間の気力と体力を圧倒的なその猛威で奪い、何もなかったかのように潮が引いていった街。目の前が真っ白になり言葉を失う。残されたものは手の付けようも無いほどの瓦礫。
日が暮れれば暗黒の将来を占うかのように押し寄せる不安。
塩釜の親友 佐藤圭太はそのまっただ中に立ちすくんでいる。
塩釜の、宮城の、そして日本が誇る第一次産業。
東京築地でも圧倒的なブランド力を誇る三陸沖の魚介類。
でも、会社そのものがその生業としていた海に流され操業する足がかりを失っている。
皮肉にも彼を育てた塩釜の雄大な自然が、彼らの生活を奪った。
しかしながら圭太は沢山の仲間までも飲み込んでしまった海に、また帰ろうとしている。
この塩釜からまた船を出そうとしている。
今日も一歩一歩、新しい海に向かって顔を上げている彼に最高のエールを送りたい。
がんばろう!!宮城 がんばろう!!塩釜
がんばれ!!佐藤圭太
(携帯電話で本人が撮影した宮城県塩釜市北浜地区の今朝)
※峩々温泉が実施致しますチャリティはこの塩釜市北浜地区に送られます。
ぜひ1人でも多くの方々にご協力頂き、1日も早い復興をみんなで後押ししましょう。
by gagaonsen
| 2011-04-05 12:54
| 東日本大震災