2010年 01月 29日
日常の生活に込められた想い |
訪れる旅人に想いを馳せる。
それがごく日常の生活に存在し、それを百数十年もやり続けてきた仕事。
最近「コブクロ」と「ミスチル」を車の中などでよく聞いています。
今まであまりと言うよりは「全然」聞いた事が無かった。
興味が無かっただけで、聞いたらすごく良かったんです。
その中でもコブクロの歌詞にギュっと込められた想い。
それは実に日常生活の中に、そしてどこにでも転がっているような切ない想い。
はかなさと希望、そして等身大の自分と重なり合う時間。
それがストレート過ぎるほどに、すっと入ってくる。
時としてそれははっきりとした自分へのエールになっているのかもしれません。
対照的にミスチルの歌詞や音楽そのものには、それとはまた違った抑揚のようなものが存在する。
恐らく10人が10人の聞き手に違った感性があり、その味わい方もかなり様々なのではないだろうか。
それはそれぞれのPVを見るとはっきりわかる(ユーチューブでご覧下さい)。
だからミスチルの曲を聴き終わって、改めてその内容を語り合うような事はきっと野暮な行為なのだと思う。
そして、やはりそこにも日常生活がはっきりと存在している。
毎日の暮らしの中でちっぽけな自分の立ち位置を懸命に探す。
その小さな喜びを拾い集めて、それぞれの幸せの形を再確認する。
もしかすると、人間が旅をする本能的な目的はこのような事なのではないかと思う。
人によって「コブクロ的」又は「ミスチル的」な旅の形は違っていても、それに込められた想いを見付けに一歩踏み出す事。
そんな旅の定義をこれからも曲を聞き込む事で、何かを感じ続けたい。
それがごく日常の生活に存在し、それを百数十年もやり続けてきた仕事。
最近「コブクロ」と「ミスチル」を車の中などでよく聞いています。
今まであまりと言うよりは「全然」聞いた事が無かった。
興味が無かっただけで、聞いたらすごく良かったんです。
その中でもコブクロの歌詞にギュっと込められた想い。
それは実に日常生活の中に、そしてどこにでも転がっているような切ない想い。
はかなさと希望、そして等身大の自分と重なり合う時間。
それがストレート過ぎるほどに、すっと入ってくる。
時としてそれははっきりとした自分へのエールになっているのかもしれません。
対照的にミスチルの歌詞や音楽そのものには、それとはまた違った抑揚のようなものが存在する。
恐らく10人が10人の聞き手に違った感性があり、その味わい方もかなり様々なのではないだろうか。
それはそれぞれのPVを見るとはっきりわかる(ユーチューブでご覧下さい)。
だからミスチルの曲を聴き終わって、改めてその内容を語り合うような事はきっと野暮な行為なのだと思う。
そして、やはりそこにも日常生活がはっきりと存在している。
毎日の暮らしの中でちっぽけな自分の立ち位置を懸命に探す。
その小さな喜びを拾い集めて、それぞれの幸せの形を再確認する。
もしかすると、人間が旅をする本能的な目的はこのような事なのではないかと思う。
人によって「コブクロ的」又は「ミスチル的」な旅の形は違っていても、それに込められた想いを見付けに一歩踏み出す事。
そんな旅の定義をこれからも曲を聞き込む事で、何かを感じ続けたい。
by gagaonsen
| 2010-01-29 15:46
| 言葉