2011年 04月 03日
自粛ってどういう意味ですか? |
連日の報道やCMで流れる「私達にできる事」「頑張ろうニッポン」といったようなフレーズ。
日本は今、立ち上がらなければならない。
一体化しなければならい。
困っている人の役に立つ。それをどう行動に移して行くのかが、これからの焦点となります。
先日ある地区の消防団員がボランティア活動を申し出たところ、自治体から断られたという話しを聞きました。
支援活動とは支援できるだけの能力がある事が前提です。
現地に行って「スコップ貸して下さい。軍手下さい。寝る所と食事用意して下さい。」では支援活動にならないのです。気持はあっても、物事には必ずレベルというものが存在します。その人は知らなかっただけです。考えに至らないから断られたのです。そして断られた事に不快感を覚えるのです。そういう人は沢山存在します。
「無知」を知らずは罪なのです。
私にも経験があります。新潟の震災の時にチャリティイベントなどを主催しました。
その時に思った事。
世の中には気を使ってくれる人と、気を使わせる人の2種類しか存在しない。です。
なぜか手のかかる人って絶対にいます。いわゆる「お客さん」と呼ばれてしまう人。
現地でどんなシチュエーションになっても構わないようにきっちりと準備し、スタッフに世話を掛けさせない。到着したらさっさと準備して、終わったらさっさと帰る。
現地のスタッフはそうでなくても段取りに頭がいっぱい。
だから手伝う人は、要請された仕事をきっちりと時間内に終わらせる技術力が最も必要なのです。
自衛隊や消防隊はそのために日々訓練を重ねているのです。
だから少なくともお手伝いする人は、自分の言動に謙虚さを持たなければ邪魔にされます。
これからボランティアしようとしている方は、充分に御注意下さい。
もう始めている方は、今一度考えてみて下さい。
一般の人達ができる事はとても限られています。
日本国民全員が被災地でボランティア活動に参加するわけにはいきません。
では、いったい何をしなければならないのか。
何を元気に盛り上げなければならないのか。
それは経済活動です。
資本主義国である以上、それが正当だと考えます。
適切な生産性と消費なのだと思います。
ただし、今までと同じやりかたでは必ず経済破綻を向かえると誰も懸念している。
独自の情報収集力、公という考え方、真実を見極める能力、直感的な行動力。
現在そのかじ取りをしてくれるリーダーシップが大きく欠如しています。
どの話しを信じて、誰と行動を共にしなければならないかも本当に重要です。
本当に今、何かに試されているようです。
ただこの理解しがたい自粛ムードから早く切り替わって欲しい。
日本という素晴らしい国民性が世界から誤解されないよう、願うばかりです。
米紙ニューヨーク・タイムズは28日付で「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」との見出しの記事を掲載し、日本国民の多くが地震や津波の犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり、国民経済への悪影響が懸念されると伝えた。
東京発の同記事は、日本で「地震、津波、原発で何十万という国民が被害を受けたことから、被災地以外でも、少しでもぜいたくにみえる活動はすべて非難されるようになった」とし、日本国民のすべての層が生活面での「自粛」をするようになったと報じた。
自粛はまず電力の節約という形をとり、日本国民が「電灯、エレベーター、暖房、トイレ座席の暖房まで止めるようになった」とし、安売りカメラ店の客案内の音声やカラオケ店への出入り、桜の花見、高校野球応援、東京都知事選の候補の音声までが自粛されていると指摘した。
同記事は自粛が過剰になっていることを示唆し、企業や学校の行事のキャンセルが日本の経済全体の60%に及ぶ消費支出を大幅に減らし、「もともと停滞していた日本経済に浸食効果をもたらし、倒産を急増させるだろう」と述べている。
また「東京都民にとっての自粛は被災地の人々との連帯を示し、自粛をする側を何か良いことをしているという気分にさせる安易な方法だ。しかし、当人たちは実際にどんな効果をもたらすかはあまり考えていないようだ」とも論評した。
(上記「msn 産経ニュース/2011.3.29 20:09 」より記事を抜粋)
by gagaonsen
| 2011-04-03 12:26
| 東日本大震災